昨日 欧州連合(EU)は ブリュッセルでの臨時首脳会議で、新設される首脳会議の常任議長(大統領)職に ベルギーのヘルマン・ファンロンパイ首相を、外相に相当する外務・安全保障上級代表には 英国出身のキャサリン・アストン欧州委員(通商担当)を それぞれ指名する事で合意しました。
以前 このブログで EU大統領 英国のブレア前首相が有力視 という記事を書きましたが 予想通り イラク軍事行動への参加、ユーロ導入への消極姿勢などの理由から、加盟諸国から十分な支持が得られず 挫折です。
これら 欧州主要人事選考の場に 自国からの立候補者を全く出さないドイツ。自他共に認める欧州連合最大の経済規模を誇るドイツは 本来なら 欧州主要人事職に就いて当然とも見えます。しかし ずっと沈黙を守り続けているドイツは もしかしたら 密かに 次期ECB総裁の座を狙っているのではないか?という憶測が流れ始めました。
トリシェ総裁の任期は2011年10月末まで。「な~に?まだ2年も先の話しじゃ ないですか?」と思ったら 大間違い。既に先月 イタリアの外相は 「トリシェ総裁の後任には ドラギ・イタリア中銀総裁が最適!」と 口走って話題を呼んだばかり。ECB総裁を指名する権限は EU加盟国の閣僚に与えられています。ここで ドイツのメルケル首相が、ドイツ連銀:ウェーバー総裁をECB総裁候補として推すと表明した場合 イタリア・ベルルスコーニ首相も 負けじとばかり ドラギ総裁支持表明をするのは間違いないでしょうが、金融政策に関しては 独ウェーバー総裁ほどの実績を持たないドラギ・イタリア中銀総裁には、逆風となります。まぁ そうは言っても 経歴からすると 主要国の中銀、監督当局者で構成される金融安定理事会(FSB)議長を務め、国際金融界で知名度が高いドラギ総裁に対し、ウェーバー氏は 学者出身の理論家で、ECB内では反インフレ姿勢が強いタカ派の代表格。がっぷりよつ というところかもしれません。
いずれにしても ユーロという通貨がドルと並んで 世界の主要通貨の仲間入りを果たした今 ECB総裁職は 欧州経済だけでなく 国際金融に多大な影響を及ぼすポジションとなります。事実 フォーブス紙が行った「世界で最も影響力を持つ67人」のリストでは ECB総裁の名前が 25番目に挙がっており これは 英ブラウン首相や 仏サルコジ大統領より 上に位置しています。
しかし 考えてみると ECB総裁決定は 最初から波乱続きでしたよね。
そもそも 昔々 ヨーロッパ統合の中心国は ドイツとフランスでした。ドイツは 経済的側面を、フランスは 政治的側面を分担し対処することで、EU加盟諸国の先頭に立ってヨーロッパ経済を統合に導いてきました。特にドイツは 侵略戦争を犯した過去を反省し 過去を償う意味からも 欧州統合に積極的に参加してきました。しかし 通貨統合の段階になると ドイツ国内で単一通貨に否定的な意見が多くなりました。ドイツにとってマルクは敗戦国ドイツの復興の象徴であったため、マルク消滅に強い抵抗を感じたのは 当然ですね
しかし 最終的に単一通貨ユーロは誕生しました。それに伴い 1998年5月のEU首脳会議の場で決定されたECB初代総裁人事は、ドイツとフランスの主導権争いで混迷しました。最終的には ドイツが強く押すドイセンベルク・オランダ中銀総裁をECB総裁に就任させる代わり、8年の任期を”分割”することで フランスの押すトリシェ・フランス中銀総裁と交代させることが、当時のコール独首相とシラク仏大統領の間で内諾されていたとされています。つまり 最初 ドイセンベルク総裁は 規定通りの8年の任期で任命されたのですが シラク仏大統領の強硬な反対に振り回され 最終的に 同氏は「年齢を考えて 8年の任期を全うするつもりはない。ただし 2002年に予定されているユーロ現金の流通だけは 見届けたい」と 約束させられ ようやく ドイツとフランスとの政治決着がついたとも言えます
2002年 無事 ユーロ通貨の流通が順調に行われ 任期半ばで ドイセンベルク総裁が トリシェ仏中銀総裁と ECB総裁の座を交代する時期になると、トリシェ総裁は 同氏が仏財務省国庫局長時代、当事国営化していた大手銀クレディ・リヨネの決算粉飾に絡んで検察当局の捜査対象となってしまい、判決待ちの身へ。この当時 EUの非公式理事会では、トリシェ総裁に有罪判決が出た場合には ドイセンベルグ総裁が続投する扱いを決めていたようです。
話しは 総裁人事からECB金融政策に代わりますが、これは 金融政策の第一目的は物価安定の維持 としており そのため ECBの意志決定は景気回復や輸出促進などを目的に 「(物価よりも雇用安定のための)金融緩和政策を含める政治的圧力を受けない」という「ECBの独立性」が同条約に明記されています。これは 「世界で最も独立性が高い」とされるブンデスバンク(独連銀)の理念をモデルにしています。当初 フランスは このドイツ型システムに不満を持っており なんとか 金融政策に政治関与が出来る余地を残そうとしましたが 失敗に終わっています。
ECBの本拠地を フランクフルトに置く事にも ドイツは成功しました
ドイツに取って達成していないものは ECB総裁の座だけ でしょうか?
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