先週金曜日にアップしたセントラル短資FXさんのコラム記事 「地政学リスク相場との付き合い方」この中でひとつよくわからないことがあるという質問を、私が3月から始めた「ファンダメンタルズ・カレッジ」の生徒さん、そしてブログ読者の方からメールを通じていただきました。
質問:
1990~91年に起きた湾岸戦争のとき、地政学リスクの相場で、その当時は原油が買われたから、資源通貨が買われたと書いてありました。 個人的には、資源通貨(AUDやCAD)は、リスク通貨という認識で、リスクが起きた時に原油が上がるから、一緒に買われるものでしょうか?こういう質問でした。
コラム記事の中でも書いたのですが、
当時は地政学リスクに慣れていないマーケットでしたので、ニュースが出た時の各通貨ごとの予想を巡り、市場参加者の見解が分かれたため、今なら起きない動きや考え方がマーケットにあったと思います。
はっきりした年月日まではわかりませんが、そもそも 「リスク・オン/オフ」という言葉でマーケットが語られたのは、たぶんですけど 2007年のサブ・プライムから2008年リーマンショック

あたりなんじゃないかな? と思うんです。わずか10年なんですよね、この 「リスク・オン/オフ」という概念が我々個人投資家まで浸透してきたのは・・・
そして、外国為替市場に銀行が参入してマーケットメークするようになったのが、1980年のはずですので、湾岸戦争時代は、銀行参加後 「まだ10年目」でした。そのため、マーケット参加者にとっても、試行錯誤の連続だったと認識しています。
湾岸戦争が始まるまでの為替ディーリングは、もちろん主要国の経済・金融政策、政治的イベントなどで動きましたが、1990年代の地政学的リスク相場到来と共にディーリングのやり方が変わった転換期だったとも言えます。
特に湾岸戦争の頃は、
「原油価格動向をにらみながらドルの先行きを考えて相場を張る」という今までにない取引き手段を覚えました。
当時のアメリカは世界最大の原油輸入国であったため、
「原油価格上昇 ⇒ 米国の景気減速懸念台頭」というシナリオをたて、それを先取りする形でドルを売るという「原油とドルの逆相関性」を念頭に置いた取引方法が確立された瞬間でもありました。
なんかなぁ こういう昔のことを書ける ということは、それだけ私がめっちゃ 年取ってるってことで、あまり嬉しくないなぁ

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