昨日 ハニーさんから頂きましたコメント欄での質問に お答えします。お断りしておきますが これは あくまでも 私の個人的見解ですので そのつもりでお読みください
今週月曜日に バロッソ欧州委員会委員長が 「英国は世界金融混乱の影響でユーロに参加する事を検討している」と発言しました。この発言を受けて 同日 ブラウン英首相報道官が「ユーロを採用する計画は ない」という声明を発表しましたが 当のブラウン首相ご自身は その後 何も述べておりません。
そもそも この発言は 週末に バロッソ欧州委員会委員長と英マンデルソン前欧州委員(通商担当)が電話で話しをした時に出てきたものらしい というのが 大方の憶測です。今年10月3日に行なわれた内閣改造で マンデルソン欧州委員(通商担当)は閣僚に復帰、ビジネス・企業・規制改革相に就きました。しかし マンデルソン氏とEUとのつながりは今でも深い そして この方は 英国のユーロ加盟を全面的に支持している一人です。
そして もし 今 英国がユーロ加盟をしたと仮定したら ポンドが対ユーロで安すぎるので 欧州が黙っていませんよね。とりあえず この<英国 ユーロ加盟は 現在のところ 有り得ない>という理由を 書き連ねてみます
1)ユーロ加盟条件ユーロを導入するには、インフレ率、長期金利、財政収支、政府累積債務について、欧州連合、及び欧州中央銀行、欧州中央銀行制度の定める基準をクリアしなければなりません。財政赤字がGDPの3%以内でなければ ならない という条件で 既に 英国は失格です
2)ユーロ導入に関する5つの経済テスト 「英経済と欧州経済の収れん度」「経済の柔軟性」「投資」「金融」「雇用」前ブレアー首相は ユーロ導入の是非を問う国民投票の実施には 上記の経済5項目を完全にクリアーしているかどうかを見極める必要性を強く主張していました。現ブラウン首相も 同じです。
3)ユーロ導入に際して3つの承認手続き内閣における承認、議会における承認、有権者による国民投票が必要です。内閣、議会は どうか知りませんが 最後の国民投票に関しては NOが 今でも多数を占めていると信じています
4)ユーロ/ポンドのレベルまだ ブラウン首相が財務相だった2003年6月9日に 上に書きました 2)「5つの経済テスト」に基づく評価報告をしました。その席で ブラウン氏は
”イギリスの単一通貨参加の際の交換レートについて、1ユーロ=約73ペンスである” と述べているんですよ。どこから この 0.73 という交換レートが浮上してきたのか 全く不明です。ちなみに この日(2003年6月9日)のユーロ/ポンド レベルは 0.70台でした
注: ユーロ/ポンドレベルに関しては この記事の最後に もっと たくさん 書きます
5)英国債と独国債(10、30年物)のイールドカーブ比較私 これは 分かりません
6)英国の賭け屋での実態英国では どんなささいな出来事でも 賭け屋で 値が立ちます。その日のサッカーの獲得点数予想に始まり 最初の得点が 試合何分後に入るか と言った事。そして 先週行なわれたダーリング財務相の予算方針演説が何分続くか、その間 ダーリング財務相が何回 お水を飲むか と言った事も賭けの対象となります。現在のところ イギリスの主な賭け屋では 英国のユーロ導入に関する賭けは 一切 行なわれていないそうです。過去に3度ほど 賭けの対象となった事はあるそうですが 最近は 全くだそうです
7)野党:保守党の対応今週3日 英国議会(会期1年)の開会式が行なわれ エリザベス女王は英上院で恒例の女王演説 (政府が会期中に成立を期す法案の概要を女王が代読する伝統行事) を行いました。今後 議会の質疑応答の席で 保守党が 英国のユーロ加盟に関するバロッソ欧州委員会委員長発言を蒸し返す可能性は あります。これは 要注意ですね
それでは 最後になりましたが ユーロとポンド間のレートに関して 私の個人的意見を書かせて頂きます。皆さんも一度はお聞きになったと思いますが 英国は 1992年9月にERMから脱退。かの有名なジョージ・ソロス氏が一躍有名になった<Black Wednesday><ポンド危機>が起きた時です
まず 私自身のブログの過去記事(6月9日付け)から 一部 抜粋します
まず 本日は 泣く子も黙る1992~3年の暴落:
1989~1990年に不動産価格が天井を打った時期 ポンドは ERM(欧州為替相場メカニズム)に加盟しました。出だしは好調に見えましたが 1992年6月 デンマークがマーストリヒト条約批准に関する国民投票でNOを出した事がきっかけとなり 欧州通貨統合の先行きに暗雲が垂れ込みました。デンマークの次に国民投票を実施する予定だったフランスでも国民投票否決か?という懸念が これを増幅させることとなり,特にEMS(欧州通貨制度)内の弱い通貨であった英ポンドやイタリア・リラに圧力が加わることとなりました。ポンドは ERMでは対マルク 2.95±6%という変動幅で推移する事になっており、万が一 上下6%を越えそうな場合は 英中央銀行が介入する義務がありました。ソロス氏は当時 ポンドの価値が過大評価されていると信じ 1992年9月ビシバシのポンド売りを仕掛けました。英中央銀行は介入し続け 当時財務相であったラモント氏が 10%の政策金利を12%へ利上げ。それでも ポンド売りは止まりません。その数時間後には介入資金(270億ポンド)が底をつき 英中央銀行の介入が止まったのをきっかけに 政策金利は12%から15%へ跳ね上がりました。私は当時 英3大銀行のひとつのディーリング・ルームで このBlack Wednesdayを目の当たりにしたので よく覚えています。
政策金利は15%、住宅ローンは 17%くらいに跳ね上がったと記憶してます。ひどかったですよ.......日本で生まれ育った私には <インフレ>という経験がありませんでした。まぁ 当時は インフレではなく スタグフレーションなので もっと始末が悪かったのですが 物の値段が週に数回変わるので 近所の小さめのストアーでは 値段表を廃止し 手書きの値段を毎日 品物に貼り付けていました。月曜日 56ペンスだった缶詰が水曜日には68ペンスになり その翌週には 一気に81ペンス、その3日後には1ポンド9ペンス と言った具合に 日本に住んでいては絶対に体験出来ない<インフレ>の恐さを経験しました。
17%の住宅ローン 考えられますか?ポンドがERM離脱して しばらくしたら 政策金利は15%から12%に下がったのですが それでも住宅ローンは15%台でした。住宅価格は坂道を転げ落ちるように下落し 自分の家の値段は 自分達が購入した時よりも安くなってしまい ネガティブ・エクイティ(住宅ローン残高より 自宅の価格が低い状態)続発し 売るに売れない破産者ばかり。とうとう住宅ローン遅延が数ヶ月続き 自宅は抵当差し押さえ。そのような抵当物件増加が止まらず 最寄の駅から自宅までの僅か10分の距離で 抵当物件52件 というような状態が続きました。当然 不動産を買いたいなどと思う人は 皆無でした長い引用になってしまいました。ごめんなさい
で ここにも書いてあるように 当時 ポンドは対マルク 2.95±6%変動幅で推移するという条件で ERMに加盟。ポンド/マルク中心レート 2.95を 現在のユーロ/ポンドに換算すると 大体 0.6630レベルになります。Black Wednesdayの日 6%変動幅下限 2.778 (ユーロ/ポンド 0.7040)を切った後 2.75 (0.7110)の安値を付け 翌日には英国は正式にERMから離脱しました
本日 ユーロ/ポンドは 0.86台高値圏におりますが キリがよい数字 0.85 としてポンド/マルク レートに換算すると2.3010というレベルになります。つまり ERM中心レート 2.95より ナント 22%もポンド安なんですよ、今は..... 極端な話し もし 英国がユーロ加盟条件全てをクリアーし 5つの経済テストもクリアーし (有り得ませんが)英国民による投票でユーロ加盟YES と出たとしたら 22%ポンド安である0.85で加盟とは 絶対にEUが許さないでしょう。2003年にブラウン首相が述べた0.73 (ポンド/マルク換算 2.6790)というレートが 本当に英国と欧州が(私達の知らないところで密約が交わされたと仮定)決めたレートであるのなら ”もう 地球に明日はない”と言わんばかりに ポンドを形振り構わずロングにしなければならない時期が来るという事でしょうかね
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先程レートアナウンスがありましたが、まだマーケットは揺れているようですね。