≪ 英中銀が下した「大胆な決断」 | HOME | 米ウォール街の抗議デモ、ロンドンへ拡大 ≫
Author:N20 (松崎美子)
東京でスイス系銀行Dealing Roomで見習いトレイダーとしてスタート。18ヶ月後に渡英決定。1989年よりロンドン・シティーにあるバークレイズ銀行本店Dealing Roomに就職。1991年に出産。1997年 シティーにある米系投資銀行に転職。肉体的・精神的に限界を感じ、2000年に退職。その後、憧れの専業主婦をしたが時間をもてあまし気味。たまたま英系銀行の元同僚と飲みに行き、証拠金取引の話しを聞き、早速証拠金取引開始。
口座残高ゼロ経験あり
ここで、スロバキアという国はどんな国か、少し書かせてください。
スロバキアは人口約540万人、このレベルでは
デンマークやフィンランなど北欧諸国と同等程度で、欧州の国々の規模レベルでは決して小さくはない国家です。因みに、ギリシャの半分の人口です。
国家は選挙で選ばれた大統領がいて、議会制の中で選ばれた首相が行政を執行しています。今の首相はラディツォバー首相という女性首相のようで、初めて昔の共産党系ではない内閣を組閣したようです。
面積は九州より少し大きい程度です。
簡単な歴史ですが、私たちは以前の『チェコスロバキア』という国名が頭から離れていないかと思います。中世の時代、お隣のチェコ(ボヘミア)が長年オーストリアに組み込まれていた準独立王国であったのに対し、スロバキアはハンガリーの勢力下に組み込まれた歴史から、チェコとスロバキアは当然文化も気質も性格が異なります。
第一次・第二次対戦後に成立した『チェコ・スロバキア連邦』という国は、スロバキア側からすれば対等連邦の想いがあったのですが、長年チェコ側優位の体制で存在し続けた為、社会主義政権崩壊後、ヨーロッパの民族意識が台頭した事もあって、1992年大晦日、連邦は解体され、スロバキアが‘分離独立’したかたちでそれぞれ違う道を辿ることになりました。この連邦解体はビロード離婚と称されています。
首都はブラティスラヴァ(Bratislava)という町で、人口約43万(横須賀市ほど)です。ウィーンから50キロという近さにあり、隣のチェコ国境とオーストリア国境は目の鼻の先。ドナウ川が市内を流れていて、城から眺めるドナウの流れはとても美しいです。
スロバキアは2009年1月にユーロに入りました。それまでは『スロバキア コルナ(SK)』という通貨でした。隣のチェココルナに対して0.72程度、チェココルナから見れば1.38程度と額面だけ見ればチェコのほうが強かったです(2002年時)。2005年9月初旬のレートは、1€≒約38.5 SK、1SK≒約3.5円、チェココルナに対して同0.76、1.31程度と3年で5.5%ほどスロバキア コルナが上がり、それまでは経済は順調でした。
スロバキアの人は、何かとチェコと対比したがります。だから、チェコがユーロに入っていないのを横目にどうしても背伸びしてユーロに入りたかったのだと思います。国は農業国ですが、チェコが有数の工業国ですので、チェコ側から観ればお荷物だ、と言っていました。
スロバキアへはウィーンから近郊電車で1時間ほどでいけます。東西に細長いので、東部はハンガリーやポーランドにも出られますし、ビザさえあればウクライナにも行けますが、これは交通の便がよくありません。
ドイツからの国際列車がチェコ側からスロバキアを経由してハンガリーに向かって走っています。よって、経済圏で考えた場合、オーストリアとチェコ、そしてハンガリーと一体となった感じですが、チェコとハンガリーは異なる通貨ですので、この辺一帯はの通貨模様はとても複雑ですね。
そんなスロバキアが今回のユーロ危機で注目されているのです。ギリシャに比べて国民は勤勉ですし、美人が多く、でもあまりお金持ちではないので交通機関は安く設定されてます。そんな国民からしてみれば、怠け者のギリシャを助けるなんて感情的には相当な抵抗があるでしょうね。でお、世論調査では、『致し方ない』的に賛成する人のほうが多いらしいですが。
長々と失礼いたしました。