本日より テニスファンにはお待ちかねの ウィンブルドン・テニス・トーナメント

が開催されます。こちらに住んでいますと ウィンブルドンが始まる = 待ち焦がれた夏

がやって来た! という 嬉しい時期なのですが、この週末 英国全土は 悲しいニュースのため 喪に服している状態です。
イラクで 2年間人質になっていた英国人5名のうち 2名の死体が 先週金曜日 イラクの首都:バグダッドにある英国大使館へ送りつけられました。週末は このニュースで持ちきりでしたが 昨日日曜日午後 解剖結果が出て その2名の氏名が公表されたわけです。
5名の英国人は 米企業ベアリングポイントのコンピューター専門家 そして 彼の警備にあたっていた(カナダの警備会社)ガルダワールドの警備員4名。5人は 2007年5月29日 バグダッド市内にあるイラク財務省から拉致されました。人質の無事解放を目指し 英国側がイラク当局などと緊密に連携しており 今年3月には 人質達を写したビデオが 在イラク英大使館へ送りつけられたばかり。
私は あまり このブログに政治的な記事を書く事は 極力 避けているのですが この週末は 遺体となって英国に引き渡された人達のご家族の気持ちを考えると 泣きたくなりました。
イラク戦争は 2001年9月11日アメリカ同時多発テロがきっかけになったのは事実でしょう。その翌年 当時のブッシュ大統領は 一般教書演説で イラン、イラク、北朝鮮を大量破壊兵器を保有するテロ国家と名指しで非難。2003年 国連の決議も得られぬまま 大量破壊兵器絶滅を訴え アメリカ、イギリス、オーストラリアは イラク戦争を始めました。当時のブレアー首相のアメリカ寄り外交は周知の事実でしたし 世界中が 当時の」サダム・フセイン大統領を憎んでいたのも事実です。しかし この戦争の根拠は希薄であった事は明白な事実であり それを裏付けるように イラク戦争が一段落しても 大量殺戮兵器は見つからず、駐イラク英軍からは頻繁に死者が出ていました。
英国では 当時 イラク戦争の正義を問うデモが後を絶たず 国民からの猛反発は 連日 新聞やTVで報道されていました。最終的には このような不毛な戦争を行い 英軍のイラク駐留を続行させた政府に対して英国民の不満が膨らみ、当時の英政府に対する支持率は低下を続け、ついに ブレア首相は退陣を表明したのです。
私は中東問題には からきし 弱いです。たぶん イラク戦争のきっかけとなったのは 9/11アメリカ同時多発テロではなく もっともっと根が深いものなのかもしれません。たぶん 中東地域の複雑な政治・軍事関係を考慮しなければ本質が理解できない問題なのでしょう。そうなると 中東問題の焦点であるパレスチナ問題の起源は 紀元前に遡らなければなりません。もっと 近い時点でパレスチナ問題を問えば 第1次大戦中,イギリスがパレスチナの地にアラブ人とユダヤ人双方に独立国家建設を認める矛盾した政策をとった事により ますます パレスチナ問題が複雑化したのかもしれません。
一日も早い残りの人質3名の解放が望まれる英国です
この記事がお役に立ちましたら 欲張り3段攻めポチッ御願いします!
最初は
人気blogランキングへ 次が
最後が
こんな嬉しい賞を頂きました。受賞に恥じないよう 頑張ろうと思います。応援 よろしく!